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「SHOE PARKING SIGN」作:姶良信近
¥30,000
「SHOE PARKING SIGN」作:姶良信近 下駄箱の看板。 「SHOE PARKING」=下駄箱 靴のパーキング(駐車場)と見立てて、まるで駐車場のように「P(arking)」マークを大きく描くという粋な作品です。靴を脱いで上がるお店の靴箱や、おうちの下駄箱付近などに飾ったらシャレが効いてて面白いですよね。 大きさ:25.8cm × 36.3cm × 0.55cm(横 × 縦 × 厚み) 素材:木製、アクリル絵の具 作:姶良信近(アイラノブチカ)
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「HAND PRINT HERE」 作:姶良信近
¥60,000
「HAND PRINT HERE」 作:姶良信近 シルクスクリーン プリントの看板。 大きな赤い矢印がドーンと大胆に配置され、その上に踊る骸骨が浮かび上がります。 よく見ると、黒い黒板にチョークで描いたような、「HAND PRINT」の文字。 左下に、Tシャツのサイズと価格表のようなもの。 日付「OCT 22 2005 SAT.〜(読取不能)」とあります。 矢印の向きと骸骨の向きが逆方向なのは意図的か? 全体は暗めなトーンですが、立体的で丸みのある矢印と、骸骨の滑稽な動きのあるポーズが、 不思議とダークな中にも愉快さを感じさせる作品です。 プリントした骸骨が動き出して逃げて行っちゃったのかと妄想が膨らみます。 サイズ:約65.5cm × 約45.5cm × 約3.5cm(横 × 縦 × 厚み) 素材:木製布キャンバス、アクリル絵の具 作:姶良信近(アイラノブチカ)
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「ワームホール(水色)」 作:姶良信近
¥50,000
「ワームホール(水色)」 作:姶良信近 彼(姶良信近)が長年モチーフとして用いているワームホールのオブジェです。 一点ものになります。 --- ワームホール(wormhole)とは、時空構造の位相幾何学として考えうる構造の一つで、時空のある一点から別の離れた一点へと直結する空間領域でトンネルのような抜け道である。(wikipediaより抜粋) 大きさ:88cm × 88cm × 1cm(横 × 縦 × 厚み)、ホール内径35cm 素材:木製、アクリル絵の具 作:姶良信近(アイラノブチカ) -------------------------------- 「姶良信近という男」 そのとき、彼は髭をたくわえて同じ26歳のわりには落ち着きめいた渋さを放っていた。 ’97、足利で俺がやってた店PUTOのイベントに、Yacが連れてきたんだった。 彼は第一次ヘンプブームの先駆け的な存在だったFURTHERというヘンプウェアブランドをやってて、後にその服をPUTOにおくことになって、’98のPHISHアメリカツアーを仲間と一緒に回ったりする仲になっていった。 数年後、東京とファッション業界から離れ富山に戻った彼に、俺は会いに行くようになっていた。 はじめは、姶良君が絵を描いてるってことを人づてに聞いた俺が、数年前から始めてたライブペイントを一緒にやろうって誘ったんだと思う。何度も一緒に描いたけど、渋谷のJZ BratでのBigflogのライブでは、客はハチャメチャだったけど、最高のショーでイイものが描けてたんじゃないかと思う。 今思い返すと、そんなこんなが二人を隔てる時間と距離を繋ぎ止めていたような気がする。 そんな中、2004年バーモントのPHISHライブで親友のカメラマン笠原理恵が、サンフランシスコのFillmoreでやるSTS9のHalloween Partyで二人で描かないかって言ったんだ。 そしてついに、J.GarciaとChris.D、姶良君と俺という4人のメンツでのライブペイントが実現した。 1週間前にS.F入りして、会場で描く絵の下地作りを入念に作り込んでから当日に臨み、もうこれ以上はないっていうくらい全てやり切って燃え尽きた。最高にスペシャルでハッピーでグレイトフルな体験だった。 2008年、地元富山にて、星のみちびきにより心に虹をかける思い(本人談)で、ex.Märchen Shop(メルヘンショップ)を始める。そこで彼は絵を描いたり、立体アートを制作したり、モノづくりに没頭した。この頃シルクスクリーンの版をTシャツに刷り重ねる彼のスタイルが確立していったように思う。 彼が薪ストーブでお茶を入れてくれて、みんなでのんだりただおしゃべりしたり、お店と言うよりは、そこにくる人たちの交流の場だった。誕生日がブッタと同じ姶良君は、みんなに優しかった。 PUTOを閉めて今思えばどん底にいた俺に富山から会いにきてくれたこともあったよな。 彼と描いている傍らにはいつもビートがあって、俺はそこから小さな筆先に生まれる奇跡の瞬間の数々を一緒に楽しんでいたのかもしれない。 姶良の「姶」は見目良い、器量よしという意味があって、その「良」だから要するに最高に素晴らしいってわけだ。その能力の素晴らしさと内側から湧き上がる刹那的な情熱の狭間でもがきながら生きるその不器用さと人間的美しさが彼の作品に表れているのではないか、と勝手に妄想してみる。 (OZ談/NÅTSU著)
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「ワームホール(赤)」 作:姶良信近
¥50,000
「ワームホール(赤)」 作:姶良信近 彼(姶良信近)が長年モチーフとして用いているワームホールのオブジェです。 一点ものになります。 --- ワームホール(wormhole)とは、時空構造の位相幾何学として考えうる構造の一つで、時空のある一点から別の離れた一点へと直結する空間領域でトンネルのような抜け道である。(wikipediaより抜粋) 大きさ:86cm × 86cm × 1cm(横 × 縦 × 厚み)、ホール内径30cm 素材:木製、アクリル絵の具 作:姶良信近(アイラノブチカ) -------------------------------- 「姶良信近という男」 そのとき、彼は髭をたくわえて同じ26歳のわりには落ち着きめいた渋さを放っていた。 ’97、足利で俺がやってた店PUTOのイベントに、Yacが連れてきたんだった。 彼は第一次ヘンプブームの先駆け的な存在だったFURTHERというヘンプウェアブランドをやってて、後にその服をPUTOにおくことになって、’98のPHISHアメリカツアーを仲間と一緒に回ったりする仲になっていった。 数年後、東京とファッション業界から離れ富山に戻った彼に、俺は会いに行くようになっていた。 はじめは、姶良君が絵を描いてるってことを人づてに聞いた俺が、数年前から始めてたライブペイントを一緒にやろうって誘ったんだと思う。何度も一緒に描いたけど、渋谷のJZ BratでのBigflogのライブでは、客はハチャメチャだったけど、最高のショーでイイものが描けてたんじゃないかと思う。 今思い返すと、そんなこんなが二人を隔てる時間と距離を繋ぎ止めていたような気がする。 そんな中、2004年バーモントのPHISHライブで親友のカメラマン笠原理恵が、サンフランシスコのFillmoreでやるSTS9のHalloween Partyで二人で描かないかって言ったんだ。 そしてついに、J.GarciaとChris.D、姶良君と俺という4人のメンツでのライブペイントが実現した。 1週間前にS.F入りして、会場で描く絵の下地作りを入念に作り込んでから当日に臨み、もうこれ以上はないっていうくらい全てやり切って燃え尽きた。最高にスペシャルでハッピーでグレイトフルな体験だった。 2008年、地元富山にて、星のみちびきにより心に虹をかける思い(本人談)で、ex.Märchen Shop(メルヘンショップ)を始める。そこで彼は絵を描いたり、立体アートを制作したり、モノづくりに没頭した。この頃シルクスクリーンの版をTシャツに刷り重ねる彼のスタイルが確立していったように思う。 彼が薪ストーブでお茶を入れてくれて、みんなでのんだりただおしゃべりしたり、お店と言うよりは、そこにくる人たちの交流の場だった。誕生日がブッタと同じ姶良君は、みんなに優しかった。 PUTOを閉めて今思えばどん底にいた俺に富山から会いにきてくれたこともあったよな。 彼と描いている傍らにはいつもビートがあって、俺はそこから小さな筆先に生まれる奇跡の瞬間の数々を一緒に楽しんでいたのかもしれない。 姶良の「姶」は見目良い、器量よしという意味があって、その「良」だから要するに最高に素晴らしいってわけだ。その能力の素晴らしさと内側から湧き上がる刹那的な情熱の狭間でもがきながら生きるその不器用さと人間的美しさが彼の作品に表れているのではないか、と勝手に妄想してみる。 (OZ談/NÅTSU著)
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「習作(LINK AGE)」 作:姶良信近
¥220,000
「習作(LINK AGE)」 作:姶良信近 十数年前、慶集寺(富山市岩瀬)の集会所の外壁に描いたものの習作です。 LINK AGE(リンクエイジ)とは、慶集寺の住職が行っている活動の名前です。 彼(姶良信近)が長年モチーフとして用いているワームホールが描かれています。 ワームホールの中にワームホールが幾十もの入れ子状態になっていて、さらにそれぞれのワームホールが重なりあってその入れ子のワームホールを共有して構成された幾何学模様になっています。さらに淡い色も重なり合いながらグラデーションを形成しています。 この絵画そのものがワームホールの概念を視覚化して表しているようです。 --- ワームホール(wormhole)とは、時空構造の位相幾何学として考えうる構造の一つで、時空のある一点から別の離れた一点へと直結する空間領域でトンネルのような抜け道である。(wikipediaより抜粋) また、彼が敬愛するバンドPhishのドラマーのジョン・フィッシュマンがワームホールを想起させる柄のワンピースを着ていることは有名です。 大きさ:120.1cm × 120.1cm × 4.7cm(横 × 縦 × 厚み) 素材:木製ヘンプキャンバス、アクリル絵の具 作:姶良信近(アイラノブチカ) -------------------------------- 「姶良信近という男」 そのとき、彼は髭をたくわえて同じ26歳のわりには落ち着きめいた渋さを放っていた。 ’97、足利で俺がやってた店PUTOのイベントに、Yacが連れてきたんだった。 彼は第一次ヘンプブームの先駆け的な存在だったFURTHERというヘンプウェアブランドをやってて、後にその服をPUTOにおくことになって、’98のPHISHアメリカツアーを仲間と一緒に回ったりする仲になっていった。 数年後、東京とファッション業界から離れ富山に戻った彼に、俺は会いに行くようになっていた。 はじめは、姶良君が絵を描いてるってことを人づてに聞いた俺が、数年前から始めてたライブペイントを一緒にやろうって誘ったんだと思う。何度も一緒に描いたけど、渋谷のJZ BratでのBigflogのライブでは、客はハチャメチャだったけど、最高のショーでイイものが描けてたんじゃないかと思う。 今思い返すと、そんなこんなが二人を隔てる時間と距離を繋ぎ止めていたような気がする。 そんな中、2004年バーモントのPHISHライブで親友のカメラマン笠原理恵が、サンフランシスコのFillmoreでやるSTS9のHalloween Partyで二人で描かないかって言ったんだ。 そしてついに、J.GarciaとChris.D、姶良君と俺という4人のメンツでのライブペイントが実現した。 1週間前にS.F入りして、会場で描く絵の下地作りを入念に作り込んでから当日に臨み、もうこれ以上はないっていうくらい全てやり切って燃え尽きた。最高にスペシャルでハッピーでグレイトフルな体験だった。 2008年、地元富山にて、星のみちびきにより心に虹をかける思い(本人談)で、ex.Märchen Shop(メルヘンショップ)を始める。そこで彼は絵を描いたり、立体アートを制作したり、モノづくりに没頭した。この頃シルクスクリーンの版をTシャツに刷り重ねる彼のスタイルが確立していったように思う。 彼が薪ストーブでお茶を入れてくれて、みんなでのんだりただおしゃべりしたり、お店と言うよりは、そこにくる人たちの交流の場だった。誕生日がブッタと同じ姶良君は、みんなに優しかった。 PUTOを閉めて今思えばどん底にいた俺に富山から会いにきてくれたこともあったよな。 彼と描いている傍らにはいつもビートがあって、俺はそこから小さな筆先に生まれる奇跡の瞬間の数々を一緒に楽しんでいたのかもしれない。 姶良の「姶」は見目良い、器量よしという意味があって、その「良」だから要するに最高に素晴らしいってわけだ。その能力の素晴らしさと内側から湧き上がる刹那的な情熱の狭間でもがきながら生きるその不器用さと人間的美しさが彼の作品に表れているのではないか、と勝手に妄想してみる。 (OZ談/NÅTSU著)
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「ミュールヒンショップポエトリーカフェオープン」 作:姶良信近
¥220,000
「ミュールヒンショップポエトリーカフェオープン」 作:姶良信近 十数年前、"ROOM ON EARTH"(オリス、宮田ケンゴさん経営)にあった "OPEN"(cafe)にて開いた個展の会期中に描いた作品です。個展では、海で拾った流木に言葉(sign)を描いたものをたくさん展示しました。 大きなキャンバスに、大胆なポーズで横たわる女性がダイナミックに描かれています。 ブルーを基調とした透明感のある裸体でありながら生々しさや肉々しさが感じられ、どんな場面なのだろうと想像力を掻き立てられなんだかドキドキしてきます。乳首に貼られた小さな紙キレ、NとDは何を意味するのだろうか?よく見ると、右下にうっすらと落武者のような侍の姿が、、見るたびに新しい発見があるのも興味深い作品です。 大きさ:120.1cm × 120.1cm × 4.7cm(横 × 縦 × 厚み) 素材:木製ヘンプキャンバス、アクリル絵の具 作:姶良信近(アイラノブチカ) -------------------------------- 「姶良信近という男」 そのとき、彼は髭をたくわえて同じ26歳のわりには落ち着きめいた渋さを放っていた。 ’97、足利で俺がやってた店PUTOのイベントに、Yacが連れてきたんだった。 彼は第一次ヘンプブームの先駆け的な存在だったFURTHERというヘンプウェアブランドをやってて、後にその服をPUTOにおくことになって、’98のPHISHアメリカツアーを仲間と一緒に回ったりする仲になっていった。 数年後、東京とファッション業界から離れ富山に戻った彼に、俺は会いに行くようになっていた。 はじめは、姶良君が絵を描いてるってことを人づてに聞いた俺が、数年前から始めてたライブペイントを一緒にやろうって誘ったんだと思う。何度も一緒に描いたけど、渋谷のJZ BratでのBigflogのライブでは、客はハチャメチャだったけど、最高のショーでイイものが描けてたんじゃないかと思う。 今思い返すと、そんなこんなが二人を隔てる時間と距離を繋ぎ止めていたような気がする。 そんな中、2004年バーモントのPHISHライブで親友のカメラマン笠原理恵が、サンフランシスコのFillmoreでやるSTS9のHalloween Partyで二人で描かないかって言ったんだ。 そしてついに、J.GarciaとChris.D、姶良君と俺という4人のメンツでのライブペイントが実現した。 1週間前にS.F入りして、会場で描く絵の下地作りを入念に作り込んでから当日に臨み、もうこれ以上はないっていうくらい全てやり切って燃え尽きた。最高にスペシャルでハッピーでグレイトフルな体験だった。 2008年、地元富山にて、星のみちびきにより心に虹をかける思い(本人談)で、ex.Märchen Shop(メルヘンショップ)を始める。そこで彼は絵を描いたり、立体アートを制作したり、モノづくりに没頭した。この頃シルクスクリーンの版をTシャツに刷り重ねる彼のスタイルが確立していったように思う。 彼が薪ストーブでお茶を入れてくれて、みんなでのんだりただおしゃべりしたり、お店と言うよりは、そこにくる人たちの交流の場だった。誕生日がブッタと同じ姶良君は、みんなに優しかった。 PUTOを閉めて今思えばどん底にいた俺に富山から会いにきてくれたこともあったよな。 彼と描いている傍らにはいつもビートがあって、俺はそこから小さな筆先に生まれる奇跡の瞬間の数々を一緒に楽しんでいたのかもしれない。 姶良の「姶」は見目良い、器量よしという意味があって、その「良」だから要するに最高に素晴らしいってわけだ。その能力の素晴らしさと内側から湧き上がる刹那的な情熱の狭間でもがきながら生きるその不器用さと人間的美しさが彼の作品に表れているのではないか、と勝手に妄想してみる。 (OZ談/NÅTSU著)