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Domingo(ドミンゴ) は スペイン語で "日曜日"という意味。
"いつでも日曜日のように"をモットーに愉快に活動しています。
OZを中心としたアーティスト作品を紹介するアートウェブショップです。

《 紹介アーティスト 》
⚫︎ OZ 小関克典 (オゼキカツノリ)
⚫︎ 姶良信近 (アイラノブチカ)


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[ OZ 小関克典 (オゼキカツノリ) ]

1971年10月20日栃木県佐野市生まれ。
左利き、AB型、天秤座。

1993年、初めてL.A.に渡り、L.A.のサブカルチャーに影響をうけ、1995年、足利で輸入雑貨を扱う”PUTO”を開店。 その後、アメリカのジャムバンドPHISHに衝撃をうけ、ショーを回りつつ商品を買い付け、お店を回転させる。

1999年、PHISH、L.A.のアンダーグラウンドアート、岡本太郎の影響で、本格的に絵を描くことを決心する。 同年、ブランド”Call back pip”を立ち上げ、自身のデザインでアパレルメーカーとコラボなどを行う。

2001年、BigFrogのアルバムジャケットを手がけ、”アゲ”が生まれる。その後も、BigFrogなどの国内外ツアーに同行、ライブペインティングとして参加。

2006年、Mighty Massa のアルバム”Armagideon Time”のジャケットデザインを手がける。
2007年、BigFrog活動停止と共に、個人での創作活動に専念。国内各地のさまざまな縁があった場所で個展を開く。

2011年、東日本大震災。それまでの創作スタイルに区切りをつけるタイミングと捉え、オルタナティブなカルチャーを紹介し一時代を築いた”PUTO”15年間の幕を閉じる。

現在も、宇宙的な冒険心と遊び心をたいせつにした独特の世界観をもち、自由、平和、そして愛を世に問いつつ絵を描きつづけ、”あげ”と共に浮き世のパラレルワールドを旅している。



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[ 姶良信近 (アイラノブチカ) ]

EXISTENCE SHOP(旧 ex.Märchen Shop)オーナー
ヘンプウェアブランド FURTHER 運営

1971年生まれ。富山県在住。
建築現場作業員、建築施工管理技士2級、防水施工(ウレタンゴム系塗膜防水工事)1級、石綿作業主任者、有機溶剤作業主任者、酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者、玉掛け技能講習修了 等

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「Essay - 姶良信近という男 」

そのとき、彼は髭をたくわえて同じ26歳のわりには落ち着きめいた渋さを放っていた。
’97、足利で俺がやってた店PUTOのイベントに、Yacが連れてきたんだった。
彼は第一次ヘンプブームの先駆け的な存在だったFURTHERというヘンプウェアブランドをやってて、後にその服をPUTOにおくことになって、’98のPHISHアメリカツアーを仲間と一緒に回ったりする仲になっていった。

数年後、東京とファッション業界から離れ富山に戻った彼に、俺は会いに行くようになっていた。
はじめは、姶良君が絵を描いてるってことを人づてに聞いた俺が、数年前から始めてたライブペイントを一緒にやろうって誘ったんだと思う。何度も一緒に描いたけど、渋谷のJZ BratでのBigflogのライブでは、客はハチャメチャだったけど、最高のショーでイイものが描けてたんじゃないかと思う。

今思い返すと、そんなこんなが二人を隔てる時間と距離を繋ぎ止めていたような気がする。

そんな中、2004年バーモントのPHISHライブで親友のカメラマン笠原理恵が、サンフランシスコのFillmoreでやるSTS9のHalloween Partyで二人で描かないかって言ったんだ。
そしてついに、J.GarciaとChris.D、姶良君と俺という4人のメンツでのライブペイントが実現した。
1週間前にS.F入りして、会場で描く絵の下地作りを入念に作り込んでから当日に臨み、もうこれ以上はないっていうくらい全てやり切って燃え尽きた。最高にスペシャルでハッピーでグレイトフルな体験だった。

2008年、地元富山にて、星のみちびきにより心に虹をかける思い(本人談)で、ex.Märchen Shop(メルヘンショップ)を始める。そこで彼は絵を描いたり、立体アートを制作したり、モノづくりに没頭した。この頃シルクスクリーンの版をTシャツに刷り重ねる彼のスタイルが確立していったように思う。
彼が薪ストーブでお茶を入れてくれて、みんなでのんだりただおしゃべりしたり、お店と言うよりは、そこにくる人たちの交流の場だった。誕生日がブッタと同じ姶良君は、みんなに優しかった。
PUTOを閉めて今思えばどん底にいた俺に富山から会いにきてくれたこともあったよな。

彼と描いている傍らにはいつもビートがあって、俺はそこから小さな筆先に生まれる奇跡の瞬間の数々を一緒に楽しんでいたのかもしれない。

姶良の「姶」は見目良い、器量よしという意味があって、その「良」だから要するに最高に素晴らしいってわけだ。その能力の素晴らしさと内側から湧き上がる刹那的な情熱の狭間でもがきながら生きるその不器用さと人間的美しさが彼の作品に表れているのではないか、と勝手に妄想してみる。

(OZ談/NÅTSU著)